ヅカ式宝塚鑑賞日記

小並感千本ノック

雪組『仮面の男』

一場面一場面は良いのにな~。

セットや照明の使い方もだし、天井から吊る下がったミラーボールのお衣装(?)とか面白いよねぇ。

音楽も各場面、すごく良いし。

 

だけどその「良い場面」「印象に残る演出」を、物語の流れ上、さほど重要じゃない場面に使ってしまっているのだ~……。

逆に、ルイとフィリップの入れ替わりの場面とか、ダルタニアンが恋人の敵を取るところとか、「ここぞ!」っていう見せ場が、わちゃわちゃした慌ただしい大勢口の場面になってるせいで、意識の中で流れていっちゃう……。

 

せっかくオープニングはものものしくて壮大で良かったのに、続いて出てくるのが「物語の舞台がどのくらいの時代か」をコメディチックに説明する劇作家ってのが、もう、ね。

でっかいセットに盆回りや映像も駆使した割に、出てくるのが水戸黄門ジャンヌ・ダルクって時点で

「あ、この作品、ダメかも……」

と思わせてしまう悪編集っぷり。

 

ルイの女癖の悪さを描写するシーンも、やろうと思えば語り一つで終わるし、もっとサラッと流して、みみちゃんに目を付けました! ってのをもっと印象づけるべきなのだ。

なのにでっかい唇型のソファとか持ちだして、クレイジー・ホースのショーみたいに華々しく、尺もえらい長く使って、観客の頭の中での話の流れをぶった切ってしまっているのだ。

しかし場面としてはすごく好きなんだよこのシーン……。

ケイさんがわっるい顔してるしさ……その点ですごく惜しい作品なんだよ……。

ショーで見たかったよ……。

 

あと、贔屓だから云々抜きにして、アトスの気持ちが置いてけぼりすぎるぞ~、と。

ダルタニアンは恋人の敵を取れたけど、アトスは弟の敵を取れていない(命をもって償わせていない)のだ!

あとこれは本人がどこかのインタビュー(お茶会?)で言ってたことだけど、弟を殺されているのに祝杯を上げたりする陽気なシーンに入らなきゃならないとか。

シリアスとコメディの配分が間違ってるんだよ~。

 

ショー作家になってれば良かったのかな……。

見せたいもの、自分が試してみたい演出技法にウェイトが置かれてしまっていて、物語を伝える、登場人物の心情を訴えるってのが全く視野に無いんだよな、たぶん。

劇団を辞めてからのインタビューで「宝塚では見せるべきものを見せる方法を誰も教えてくれなかった」みたいなこと言ってたけど、流石にある程度は知性で判断すべきだったでは……と思ってしまうなー、この作品を見ると……。

メイ執は面白かったのだけどねぇ。