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ヅカ式宝塚鑑賞日記

小並感千本ノック

月組『風と共に去りぬ』イシまさ

生で轟バトラーと龍スカーレットを見られたことは、宝塚ファンとして誇りにして良いことのひとつではないかな、と勝手に思っている。
しかも(風共にしては)こんなに好編集の脚本で。

他のスカーレットをきちんと見たことはないから比較はできないけれど、龍スカーレットは本当に可愛くて明るくて気が強くて身勝手で、何より孤独で、まさきさんにもスカーレットにもパァンとハマって見えた。
舞台を降りた「まさきさん」と舞台上の「龍真咲」とは分けて考えたいところだけれど、やっぱり透けて見えるその人の「素」の印象みたいなのはあって、ましてや舞台俳優なんて「自分」が強いエネルギーを放たなきゃいけないのだから、「ニンに合っている」に越したことはない、と改めて思わされました。

後半、守るものができた途端、それまでの要素はそのままに、強さと強かさが加わって、その脆さを併せ持った美しさには涙が出た。
あれは確かに、男役が演じる意味がある場面かもしれない。
どのスカーレットもだけど、「明日になれば」を歌うときの泥だらけの顔がものすごく美しいですよね。

あと私が風共ですごいなーって思うのは、女であるスカーレットが、男であるアシュレを理想化していたことを言語化するところ。
宝塚って男役を美化する世界だから、あんまりそういう視点って無いと思うんです。

女性が「モノ化」され、人格を無視されて役割を押し付けられることに抵抗するって作品はあるんですよ。
エリザベート』が一番わかりやすい。
マリー・アントワネットもその文脈で語れると思う。

一方で、男役が演じる主人公は、ヒロインの、そしてファンの理想化に応える「夢の存在」っていうのが、典型的な宝塚の男性像じゃないでしょうか。
(そういうところ、正塚作品は徹底しているので、なんだかんだと正塚作品は宝塚的なんだな、と今ふと思った。)
けれどスカーレットは、彼女の人生のヒーローであったアシュレに文字通り「幻滅」し、「美しい着物」に恋していたことを台詞として、声に出して言う。

そういうこと自覚させられるお芝居、シーンって、宝塚の作品にはあんまり無いじゃないですか。
夢を見せる世界だから、夢から醒めるシーンを描くことって、必然的にすごく少ない。

あのスカ&スカIIのシーン、見るたびすごくハッとなるんです。
そして、過去に私も同じように他人(男女問わず)に「美しい着物」を着せていた苦い記憶が、バーッて湧いてきます……。

そんな反省モードになったところに、バトラーが
「壊れたものは、壊れたものさ……」
って、風と共に去っていってしまう。

「レットーーーーーーーーーーーー!!!!」
の叫びは私の叫びでもあります。
もう、脚本にツッコみどころがありまくるだとか、板張りの馬がみっともなさすぎるとか言ってられません。
号泣です。

風共全般の話になっちゃいましたけど、ラストシーンも、他人めっちゃ振り回してるのがすごく伝わる龍スカーレットと、酸いも甘いも噛み分けてきた上級生のシブさあふれる轟バトラーだからこそ、説得力を帯びると思うんです。

この共演の後、イシさんがまさきさんにデレデレなのもこの作品を彩る「良い話」だよな。
って、結局舞台を降りてからの話になってしまった……。