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ヅカ式宝塚鑑賞日記

小並感千本ノック

月組『エドワード8世』

敢えてこのタイミングで……という訳ではないんですが、なんかここ数日きりまりがマイブームなんですわ。

 

組子をだいぶ知ってから観ると見えるものが全然変わりますね。

まゆぽんこのときから場面の要、幕開けを飾るになる役やってるのすごいな。

アステア姉弟がとしちゃぴだ!

一樹千尋さんのチャーチルはサマになりすぎてて笑うしかないwwwww

そしてたまきさんはこの頃から、トップ娘役を脅すという大役を務めていたんだね……抜擢に応え続けてきたたまきさんカッコいいよ……。

 

今まであまり意識したことなかったんだけど(すみません)、もりえさんもお芝居上手いな……!

「チャラく見えるけど情に厚い人柄」という「見た目と中身の違い」をちゃんと演じていて、演じ方に温もりがある。

 

2014年の100周年記念式典では、3日間に渡ってOGの皆さんがそれぞれの代表曲を歌った。

1日目の1曲めはきりやんの「退位の歌」だった。

それについてトップスターを「退位」した人たちのイベントだからぴったりだと仰っていた方がいた。

なるほどなぁと思ったのだが、見返してみて、この作品における「国王」を「トップスター」と読み替えると、あまりのアイロニカルさに震えた。

その読み替えをしなくても物語として楽しめる仕掛けにはなっているのだが、自らの大劇場デビューに宇治十帖を選んだ大野くんのこと、明確に意図してのことだろう。

 

国民が愛しているのはプリンス・チャーミングという「イメージ」、本当の自分のことは誰も見ていないと嘆き、「何か物足りていない様子」のデイヴィッド。

OPにも使われた、牢屋のような柵に囲まれた王座は、彼が置かれている立場の象徴だ。

 

英国民ではないウォリスだけが、彼を一人の人間として接し、それゆえにデイヴィッドは彼女に惹かれていく。

「プリンス・チャーミングでなくなったとき私に何が残るのか。」

ぼやいていたデイヴィッドは、その答えをウォリスに見出した。

 

どんなトップスターにも、それぞれの「ウォリス」が現れると良い。

そんな祈りや願いすら感じる筋立てだ。

 

きりまりにそういうエピソードがあったと聞いたことはないのだけれど、何でも出来る「優等生路線スター」で、それゆえ宝塚ではちょっと異質だったきりやんが、他の組から来て、同じ強さで並び立って歩けるまりもと出逢えた「ドラマ」は、デイヴィッドとウォリスの物語にカチリとハマる。

「主演男役とその引き立て役」ではなく、同じ一人の人間同士として並び立つきりまりは、さながら男女バディ。

デイヴィッドとウォリスのキャラクターも2人の持ち味にとても合っていて、サヨナラ公演にふさわしい「究極のきりまり」に仕上がっている。大野先生ありがとう……。

(しかし、意外とまりも氏に「強い女」系の役が回ってきたのは、サヨナラ公演のこれとお披露目のスカピンくらいなのかな? ジプ男未見なのでわからないが。)

 

この時代のイギリスは国王や首相自らラジオに出演していたようで、デイヴィッドはより自分の声がストレートに伝わる、用意された原稿であっても本音を隠せない気がすると、ラジオを愛していた。

ラジオはこの作品の演出において、幕開けから終劇まで、象徴的に繰り返し使われる。

OPで死後のデイヴィッドがウォリスに声を届けるものとして、アメリカミュージカル「ジュビリー」のアイロニックな楽曲を流し、ワルツばかりで退屈な父王のジュビリーを打ち破るものとして、そして、退位を宣言するものとして。

(一方で、同じ報道メディアでも、雑誌や新聞はスキャンダルを書き立てるものとして悪しざまに扱っていて、対比が活きている。う、上手い……。)

 

いやー、前田慶次もだったけど、すごくよく出来てるな~!

大野先生の作品はどれもノンストレスで観られるわ。

NOBUNAGAも楽しみだぜ

 

ところで、いきなりチャイナ着てセンターから出てくるまさおちゃん面白すぎるだろ。

NOBUNAGA楽しみすぎる